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先生の紹介

セラピスト プロフィール

スッキリボディへの伝道師 HIROMI

大妻女子大学 社会情報学部卒業

子供の頃の私はとても内気で小学校・中学校の時には、休み時間は1人で本を読むことが多く、手を挙げて発表することもなかなか出来ませんでした。100%正解が解かっていても、心のどこかで間違えてるんじゃないか・・・間違えたら恥ずかしいという気持ちがあったのです。そんな内気な私も、白いご飯が大好きで家では元気に白いご飯を3杯食べていましたので、ぽっちゃりとした体型で、高校生の時には62kgありました。運動も大の苦手で、球技大会ではボールを避けて逃げ回り、50m走では10秒かかりましたから運動会やマラソン大会が近づくととても憂鬱でした。

そんな私でしたから、大学生になってまさか運動部に入ろうとは夢にも思っていなかったのですが、オリエンテーションで競技ダンス部の先輩達のとても華やかな踊りを見て、「運動音痴でも出来ますか?」と部室の門をたたいた私に「出来るよ!」と、先輩達が歓迎してくださり入部しました。しかし、やはり運動部。甘くはありませんでした。走るのも遅かったので合宿でのランニングはいつもビリで先輩から怒られていましたし、踊る時にも首が前にでていたり膝が伸びなかったりとなかなか綺麗に踊れませんでした。言われた通りに動くことが出来ない・・・まさに運動神経がなかったのです。また、これまでスニーカーしか履いたことがなかったので、高さ7cmの慣れないヒールで練習するのも、足が痛くて大変でした。でも、少しでも上手くなりたくて1人でたくさん練習しました。同期や先輩・後輩達と一生懸命練習しているうちに、自然と人と話すことに苦手意識がなくなっていき、大学4年次には全日本競技ダンス連盟の理事も務め、競技ダンスも選手として4年間やり遂げることができました。

大学時代に競技ダンス部に出会うまでは、運動なんでとんでもないと思っていた私ですが、すっかりダンスが好きになった私は社会人になってもダンスをしたくなり、相手がいなければ出来ない競技ダンスではなく、1人でも出来るジャズダンスなどのスタジオに行ってみようと思い、池袋にあるダンススタジオの体験レッスンに行ってみることにしました。大学時代にダンスをしていたので、ダンスの種類が違ってもなんとかついていけるだろうと体験レッスンに行きましたが、情けないことに翌日全身ひどい筋肉痛になってしまい、階段の昇り降りもやっとの状態に・・・。そのダンススタジオでは筋トレやストレッチ、バーレッスンなども基礎練習も充実していて、フリを真似して踊ることがとても楽しく、結局8年間 週4~6日のペースでレッスンに通い、自他共に認めるダンス馬鹿になっていました。

もともと運動音痴ですから最初はあまり上手くはありませんでした。発表会でもいつも後ろの方。“その他大勢”でした。それでも、鏡と向かい合い1人で繰り返し練習したり、何度も曲を聴いてイメージしたり、ストレッチや筋トレの効率の良いやり方や身体の使い方、美しい身体の魅せ方などを試行錯誤しながら自分なりに考えて取り組んでいるうちに少しずつ上達していき、先生に褒められたり、発表会でセンターをいただけた時の喜びは、今でも忘れられない思い出です。

そんな風に大学時代から運動していた私ですが、小学生の頃から特に下半身が太く、運動しても体重がある程度減ってもなかなか細くならない下半身がコンプレックスでした。そんな太めの下半身をなんとかしたくて美容に興味を持ち、大学を卒業してからはエステティシャンとして働くことを選びました。新卒で大手エステ会社に入社した当時は、毎日夜遅くまでの勤務でしたし、土日祝日はとても混雑していましたから昼食もまともに食べる時間がありませんでした。とにかくお客様を数多くこなしていましたから、その頃は“自分はこんなにやってるんだからとても頑張っている“と思っていました。数をこなし、高い化粧品やエステ機器も販売して、売上が上がれば良しとしていました。でも売り込みが苦手だった私は、高額なエステコースや美容機器の販売にプレッシャーに耐えられず、約1年間でエステ会社を退職してしまいました。

その後入社したスキンケア化粧品の会社では、スキンケア化粧品の企画開発などを任され、スキンケア化粧品の企画や販売員さん向けに商品説明やスキンケアセミナーなどを行っていました。ある時は100人程の販売員さんを前に、約2時間のセミナーを行なったこともありました。とても緊張しましたので、なるべく質問されないように詳しい説明をしたり、想定される質問に対して下調べを入念に行なって臨みました。とても多くの経験をさせていただいた会社でしたが、通勤地が遠かったため第一子出産を機に退社することにしました。

そそて無事に第一子を出産。初めての赤ちゃんはかわいいものの、約3時間おきの授乳やオムツ替え、抱っこしてもオギャーと全力で泣くので疲労困憊。生まれてから2ヶ月間は毎日寝不足。体力的には本当にきついものでした。授乳や抱っこで背中や肩が痛くなりましたが、なかなかマッサージを受けにも行けませんでした。マッサージに行きたくても、子供と一緒に行けるお店がありませんでしたし、子供を誰かに預けてまでマッサージに行くことに罪悪感がありました。

産後うつ・・・というのでしょうか、“私は社会に戻れるんだろうか・・・”と不安に襲われ、お風呂の中でこっそり泣いたこともあります。出産1年前に引っ越してきた土地で知り合いもいませんでしたから、毎日家の中にいて、大人と話す機会が減り不安が募っていきました。今思えばホルモンバランスが崩れていたからだと理解できるのですが、当時はなぜこんなに不安になるのかも分からず不安で仕方ありませんでした。幸いにも私の住んでいる地域では、ママ向けの講座や交流会が盛んでしたので、ちょくちょく参加してたくさんのママ友も出来、次第に不安はなくなっていきました。

第一子が1歳になり、すっかり元通り元気になった私は、“人の身体全体を癒すことが出来る仕事”に就きたい!と急に思い立ちました。エステ会社を辞めてから何年の経ちますが、やはり人の身体をなんとか良い方向に導いてあげたいという思いがずっとあったのです。それで、4月に保育園を探し始めたのですが、とてもラッキーなことに5月から希望の保育園に入園が決まりました。マッサージ未経験だった私を雇ってくれたのは、2,980円のリラクゼーションサロン。実はリラクゼーションサロンは収入が少なく、一人暮らしをしているときには経済的に不安がありましたので、それまでは転職に踏み切れずにいたのです。働き始めた当初はうまく力が入らず、担当をチェンジさせられることもありました。筋肉の場所はもちろん、どのように圧したら気持ちが良いのか試行錯誤の日々でした。しかし、ある時アレクサンダーテクニークという身体の使い方の講義を受けた時から、私の圧し方は劇的に変わり指名もいただけるようになりました。お客様のお身体に向き合い、お身体の変化を感じることが出来る感覚が身についてきました。身体の奥がぐにゃりと動く感覚・・・エステで働いていた時には感じたことのなかった感覚です。この感覚が分かるようになってから、お身体をほぐしている・お身体を伸ばしていることが自信を持って出来るようになりました。

リラクゼーションサロンで働き始めた頃には、これまでの経験や知識を活用して、将来“癒しや健康・美容などの面からトータル的なサポートが出来るようなサロンを持ちたい”と漠然と思うようになっていましたので、在職中に身体の中から見直すことが出来る“食”に関してもアドバイス出来るようアンチエイジングプランナーの資格を取得し、食事の指導をするダイエット家庭教師としてこれまで40人以上の食事をご指導させていただいています。

私がいた2980円のリラクゼーションサロンでは妊娠すると退職しなければならなかったので、第二子を妊娠する前には整体院に転職し、第二子出産後はこれまで興味のあった施術を積極的に学びました。私と同じように産後なぜか不安に駆られている方や、身体が辛くてもマッサージに行けないと諦めている方、産後太りで体型に自信が持てないでいる方をサポートし、すべての女性が美しく元気でいられるようダイエット・身体のバランス・アンチエイジングなどトータルでサポートしたいと思っています。

◆熱心・熱血タイプ。9割はパワフルに生きてます。(たまに落ち込む)

◆目標は整体の実店舗を開店することと、自社ブランド化粧品を作ること。いつか子供と一緒にダンスを踊りたい。ダンス歴約12年。未就学児2人のママ。身長168cm・体重50kg

<取得資格>

NARDアロマインストラクター

日本スキンケア協会 スキンケアディレクター

健康管理士一般

メディカルO脚矯正・骨盤矯正講座 修了

日本ボディケア学院 PNF美容整体修了

REIKO KAZUKIフェイシャルプランナーコース修了

国際食養協会 美容食学A級修了

日本アンチエイジング協会 アンチエイジングプランナー

オーソモレキュラーONE

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